カテゴリー「旅行・地域」の7件の記事

扶養控除

扶養控除を来年度にも廃止するらしい。こども手当の財源にするという。はて、扶養控除ってこどもだけに適用される控除でしたっけ?国税庁のHPによれば、扶養控除には障害者をもつ家庭や高齢者と同居する家庭には加算して適用されるような記載がなされている。
http://www.nta.go.jp/taxanswer/shotoku/1180.htm
民主党のマニフェストには障害者自立支援法を廃止したり、老年者控除を復活したり、おそらくバランスをとろうとしている節はみられるけれども、そもそも所得控除が妥当なのか、税額控除が妥当なのか、という大局的な見方でいえば、まだまだ検討の余地がありそうな気がする。また納税者番号制度がない時点で、いろいろ税制をいじってみても、クロヨンといわれる所得把握の不公平は大きく変わらないのではないか。
納税は国民の義務のはずなのに、巷ではいかに税金を払わないか、のノウハウがあふれている。税制も制度である以上、完璧な制度なんて作れないのかもしれない。ただ、なんとなあく「知っているひと」と「知らない人」の差が大きく開いていて、変だなあと感じる。もっとわかりやすくならないものだろうか?
所得再配分を進めることも、勤労意欲を高めることも、要するにバランスをもって進めないとおかしなことになる。少なくとも日本国内で事業を行い、または日本国内で就労または契約により得た所得は日本国内で納税されるべきであり、国籍を海外に移そうが家族が海外で暮らしていようが、または本人が日本国籍を有していようがいまいが、関係なく納税の義務があるのではないだろうか。反面で言うと、日本政府に納税している人々は、すべて日本国籍を与えてもいいのではないか。
どうも釈然としないのは、憲法に定められた国民の義務が、どうも面倒くさく曲がっているところにありそうだ。配偶者控除や配偶者特別控除の廃止は「時期尚早」で、扶養控除なら来年度から実施、なんて税制ってそんなものだろうか。給付金付税額控除を否定はしないが、どうも税制改正の全体像がよくわからなくて、すっきりしない。これはわたしの勉強不足なのだろうか?

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初夏の尾瀬

ふと思い立って尾瀬に行ってきました。いままでただの一度も行ったことがなかった尾瀬。なぜ行かなかったか、特段理由はないが、強いてあげれば面倒だったことか。登山用のもろもろの装備を準備したり、山小屋の予約したり、さっと行ってさっと帰ってくるイメージがどうしてももてなかったり。今回それでも尾瀬に向かったのは、昨年初夏に行こうとしていろいろ準備したものがあったことと、週末の天気に恵まれそうなこと、そして一番大事なことが有給休暇を取得できそうだったこと。

夜行バスで尾瀬に向かうのであれば、急にキャンセルになっても、それほど面倒でなかろう。山小屋は、いろいろ準備してくれているのに、急なキャンセルは迷惑この上ない。幸い前日でも申し込み可能とパンフレットに書いてある。それならば、と思い立つ。

当日は、雲ひとつない快晴であった。全くの初心者である私は、鳩待峠から山ノ鼻へ向かい、竜宮十字路、ヨッピ橋をとおり、山ノ鼻へ戻り、鳩待峠から帰るコースを選んだ。鳩待峠午前5:20着。多くのハイカーでにぎわう山小屋周辺で、一人参加の私は、さていつ出発したものか、そこから迷う。とりあえずトイレに並び、用を済ませて、朝ごはんとして温かいうどんをすすり、それから出発。

前日朝から軽登山用の靴を履いていたせいか、心なし靴擦れの気配を感じる。が、「気のせい、気のせい」と割り切って足を進める。滑りやすい石の階段。しかも濡れている。これは靴を選んで正解だった。願わくば、この靴が足と一体になってくれれば、もっといいのに。狭い道を、とにかく大勢の人が歩いている。ズボン下を履くために立ち寄った鳩待山荘の方がいっていた。「今日と明日は尾瀬がもっとも混む日だよ」と。普段は、そんなに人がいないのだろうか。それにしても、ずっと列を成して歩いているさまは、都心部の桜の花見みたいだ。皆、考えることは同じということなのだろう。

山ノ鼻で若干の休憩の後、歩き始める。歩く人の数は、また一段と増えている。ミズバショウが群をつくって咲いている。きれい、と思う前に「おいしそう」と思ってしまうのは、熊の好物がミズバショウの実だと、ビジターセンターでみたばかりかもしれない。振り返ると至仏山が、雪をたたえてそびえている。ミズバショウと、至仏山とのコントラストがとても鮮やかできれい。何人ものビジターが写真を撮っていた。私も一枚。

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この風景を見て、「ああ、尾瀬にきてよかった」と思うのかもしれない。これはきれいだ。この風景をまた(来年も)みたいという気持ちは、よくわかる。ただ花がきれいだということじゃない。これは自然がつくりだす、壮大な絵画だ。

2008_0607oze0163 これはリュウキンカという花らしい。ミズバショウに混じって華麗な花をつけている。

2008_0607oze0166 そしてその花は、せせらぎのある場所に沿って、まるで花の道のように咲いている。

尾瀬は湿原だと聞いていたが、実際には雪解け水が少ないのか、かなり乾燥しているように見えた。湿った土という程度か。池になっているところは、覗き込むと深さが2M近くはあるように見えるが、水が澱んでいる箇所も数箇所、いや十数か所みられた。カッコウとカエルの鳴き声が、交互にいや混じって聴こえ、水が澱んでいるのはカエルの卵かとも思ったが、それにしては人間が持ち込んだ人工的な油のようにも見え、自然を守ることの難しさをみせられた気がする。

尾瀬のトイレは有料制。正確にはチップ制であり、私も一回百円のチップを数回払ってきた。そりゃ大変でしょ。年間数十万人も来る観光地でありながら、周囲を山で囲まれていて、人手に頼るより他にトイレを維持する方法がないんだから。ごみは持ち帰りましょう、とか、梅干の種を捨てないでください、とか、当たり前といえば当たり前のことなのだろうけど、尾瀬を守ろうとしている人の息遣いが伝わってくる。

尾瀬にまた行きたいと思う。しかしその前にもう少し体を鍛えないと。帰り道、両足の小指に出来た豆に苦しんだ。歩けないことはないが、歩きづらい。鍛え方が足りないということだろう。いずれ屋久島の屋久杉を見たいと思っているが、これも体を鍛えてから。翌日は、ほとんど寝てすごすぐらい、体に体力がなくなっている。ちょっと悲しい。また今回はつれもなく、一人だったし。こういう観光はひとりより二人がいい。そういう日は来るんだろうか?ことしもまもなく、折り返しのときを告げようとしている。

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インド旅行記(3)

翌朝は、朝食から不安だった。朝食を食べに食堂へ降りると、客は私しかいない。ウェイーターがメニューを持ってきたので、これをくれというと、お金を払えという。ちょっと待て、このツアーは全食事付ではなかったか、パックに入っている食事はどれだ、と聞いて始めてお目当ての食事にありつける。この国では、自分がなにをして欲しいか、正確に伝えることが常識なんだと認識する。そしてこのときからずっと、レストランの水は飲まなかった。ずっとペットボトルのミネラルウォーター。おなかの弱い私には、その自衛策が必要だった。

食事を食べ終えた頃、ガイドさんが迎えにきた。フロントで待っていてもらい、身支度整える。やがてクルマは私とガイドさんを乗せて、ホテルをあとにした。

ムンバイの街。クルマとリクシャーとバイクと歩行者があふれている。遠くに高層のマンション群(英語圏ではアパートメントの表現が一般的らしい)が見える。真新しいオフィスもあちこちに見られる。ホテルもマンションもオフィスも建設ラッシュだ。なんだけど、古い町は古い町で残っている。

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これが、いまのインドなんだなあ、と思う。(この後、さらにディープなインドを知ることになるのだが)私が見たかったインド。ものごとは一面ではなく、複数の位相が交差しながら、ときに非同期的に変化をとげていく。動物も植物もひとも街も。かつてTOKYOがそうであったように、いまのムンバイは21世紀にあって、ひとびとの暮らしを変えている。頑張れ!

そういったつぶやきから一転、ムンバイの駅ではじめて物乞いの女の子に会った。いかにも貧しそうな、空腹そうな表情、目をしてプラットホームのベンチでガイドさんを待つ私に近づいてきた。黙ってお金をいれる銀色の皿を差し出す。お金を恵んでくれと、目で訴えている。「NO!」私は言った。恵みたい気持ちがないのではない。たまたま小銭がなかった。いまある紙幣を差し出せば、彼女は喜ぶかもしれないが、彼女以外の大勢が集まってきてしまう恐れがある。それにたまたま私の前に来た女の子に渡すことが「最適配分」になるのだろうか?大学時代から通算約20年に渡って、毎年年末になるとわずかばかりの寄付をある国際NGOにしてきた。ここ数年は、年収の0.5%を寄付してきた。世界中に字も知らない、学校に行かせてもらえないこどもたちがあふれるなかで、こうして自分がそこそこの収入を得て生活していることに感謝して贈っている。それは残念ながら、この子ひとりの問題ではない。悲しい目をした女の子は、こんどは私を睨みつけてきた。それを黙ってみていた。すると女の子とはあきらめて去っていった。

これもまた、インドのゲンジツなのだ。世界のITを担う拠点として注目されるインドと、おそらく学校にも行けないこどもたちを抱えるインド。この矛盾は、きっと近い将来よい方向へ解消されていくのだろうと願うほかない。

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インド旅行記(4)

ムンバイの街並みをくるまの中から持っていたデジカメで撮影しました。くるまの中からなので、揺れるはぶれるは、正直お見せするに耐える内容ではありません。しかしながら、ムンバイという街の熱気を伝えるには、写真よりもくるまからのビデオのほうがずっとリアリティーがあります。そんなわけで、画面がゆれることをご容赦いただける方は、是非ご覧ください。

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インド旅行記(2)

成田を飛び立ったのは12月24日。世間はクリスマスだと騒いでいる。もうすぐ不惑の年を迎える独身男性の私にとって、一人で過ごすクリスマスに日本にいる理由はひとつもなかった。ざまあみろ。これからの長い人生、おひとりさまのゲンジツを受けいれてやろうじゃないか!そんな心意気を胸に、NARITAをあとにした。

飛行機は、スリランカエアライン。モルディブのマーレを経由してスリランカのコロンボに到着し、そこからトランジットしてムンバイに向かう、というなんとも腰が痛くなりそうなスケジュール。機内は結構混んでいた。隣には、スリランカ美人というのだろうか、若い女性が遅れて乗ってきた。もともとアジアの女性はきれいだと思っていたが、この女性もかなりの美人。しかしながら、私の語学力ではろくな会話が成立しなかった。この女性、飲むわ飲むわ、食事のたびに赤ワイン白ワインをいっぱいずつ空けていく。つられてワインを頼んでしまったが、とても同じペースでは飲めなかった。けどトイレには立たないんだなあ。私がエコノミー症候群予防を兼ねて、2時間おきぐらいに立つのに、10時間のフライトで彼女が立ったのは2回だけ。おとことおんなってそんなに体のつくり、違うんでしょうか?四六時中、「エクスキューズミー?」と言われるか、気にしていたのになんだか拍子抜け。

マーレで日本人旅行客がどっと降りたあと、マーレからは欧米系旅行客とスリランカ人、インド人と思わしき人々が乗ってきた。日本人と思われる乗客は、ほんのわずか。スリランカ、行かないのかな?と思う。

コロンボの空港で、サンタクロースに出会う。メリークリスマス!といいながら、こどもにお菓子を渡して歩いている。24日の夜中12時ごろ。これが本当のクリスマスなんじゃないか、人気のゲーム機やブランド商品、馬鹿高い高級ホテルなんて、あっち行ってしまえ、と心の中で叫ぶ。

ムンバイには、予定より遅れて午前3時過ぎに到着した。迎えは、現地ガイドさんがきていた。クルマに乗り込み、ホテルへ向かう。どんどん、明かりの寂しいほうへ向かう。ここが国内線の空港近くですよ、とかいっていたはずだ。そして着いた。着いた?うそだろ、ここで寝るの?一階が工事中で、近くを野犬がうろうろしている(これはあとで理由がわかる)、どうみても安宿。おまけにポーターは、ティップが安いと増額を要求してきた。確かに安かったのかもしれないけど、おまえ私になにしたんだ、といいたくなる。あきらかに不快な気分で一日目の夜は終わった。

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インド旅行記(1)

昨年末のクリスマス12月24日から大晦日まで、南インドへ旅行してきた。社会人になって以来、はじめての13連休。約2週間会社を休むなんて、転職したときも新婚旅行のときも、なかったこと。しかも海外旅行ひとりたびは、学生時代以来だからほぼ20年ぶり。あのときは、はじめての海外旅行で、行き先はタイだった。今回、なんでインドなんだろう。それは前にも書いたが、経済発展著しいインドと昔ながらの伝統を残すインドを、自分の目で見てみたかったから。だから世界遺産がどうとか、ヒンデュー教がどうとか、いうことにはあまり関心がなかった。ある意味、大変失礼な旅行者である。ITの街バンガロール、経済の中心都市ムンバイ(ボンベイ)をめぐる旅がメインであり、それを鉄道で旅行する。私にとっては、それで十分なバカンスである。

旅行の準備は、ばたばただった。年末に向けてあいかわらず仕事は忙しいまま。普通に考えたら、とても長期休暇をとって、「あとはよろしく」といえるような状況ではなかった。それを上司がこころよく送りだしてくれた。「大丈夫、いってらっしゃい」という上司を、ありがたく思い、他方、そのあとになにが待っているんだろうと、勘ぐってみたりもした。まあ、帰国してから考えようと、不満を漏らす後輩を置き去りにして旅立つことになる。

とりあえず「地球の歩き方」を十数年ぶりに買った。そして町の説明を飛ばして「インド旅行者の心得」を読む。1)荷物は最小限にすべし。できればリュックサックがよい。→わかりました。秋葉原で買ってきた、何でも入るパソコン用リュックを使いましょう。2)スポーツ飲料の粉末状のものを持参すべし。おなかを壊したときの栄養補給に効果→旅行前に薬局で購入しました。これが絶大な効果を発揮して、旅行中いちども深刻な下痢に悩まされずに済みました。3)年末年始、南インドは乾季、気温は25度前後→でもTシャツはやめました。マラリアが怖かったのもありますが、なんとなく半そで姿のイメージがなかったから。長袖のシャツを数枚持参したおかげで、バダミーやハンピといった田舎町で重宝しました。おもったより寒かったから。4)左手の握手は禁物。なぜならインドのトイレは手動のウォシュレットだから→わかりました。5)水着を持っていきましょう→旅程表では、ビーチで遊ぶ時間はなさそうですが、一応持っていきましょう。などなど。

たくさん仕事を日本に残していったので、職場との連絡用に携帯を国際ローミングサービス対応にし、携帯充電用にトランスとコンセントを東急ハンズで買った。これは便利。思ったよりコンパクトで軽かった。技術の進歩であります。デジタルカメラ用の充電器も持っていけばよかった。

さてそろそろ成田を出発することにしましょう。

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インド行き

年末年始の予定を大きく変更して、インドへ旅行することを計画している。

別に遺跡が見たいのではない。ベンガルールやムンバイといった、インドの経済都市を見てまわりたいだけである。数年前、ロンドンでキャナルワーフを見たことが、新丸ビルや八重洲口再開発のビル郡を見る上で参考になった。残念ながら、上海や香港、マカオには中華料理に関心はあっても、行くという行為には食指が動かない。インドのインフォシス・テクノロジーズ社オフィスなんて、なんて魅力的だろうと思ってしまう。オフィスの敷地にゴルフ場があり、テニスコートがあり、ジムがあり、図書館があり。最高の頭脳が最高の環境で仕事するというのは、こういうことを言うんじゃなかろうか、と思う。日本にこんな環境、あったかな?丸の内にしても霞が関にしても、詰め込んでいるから緑もなく日光もない。それは違うよなあ、ということを目で見たくなった。サリーを着たインドの最高技術者を見てみたい。そんな単純な動機から。

食生活を雑誌などで予習すると、何日も耐えられるのだろうか、と不安になる。なにしろ毎日カレーだという言うのだから。ツアーは現地ガイド。手配違いや、現地ガイドの遅刻など、いくらでも不安要素はつきない。それでも「どうせひとりの年末年始だから」と割り切っている。カップルでないひとを人間扱いしない日本のクリスマスにこの国にいるなんて、耐えられない。ほっといてくれ、といいたくなる。同じこと考える人っていないんだろうか?

ことしも本当にもうすぐ年があける。短い一年でした。来年こそ実りある一年でありますように。異国の地から、祈ってこよっと。

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