長続きしない訳
いまごろになって、女性との関係が長続きしない理由が自分にもあることが、腹におちるようになった。簡単に言えば、生物学的欲求の段階から、社会的生活の段階への移行がうまくいかないからなんだろう。
生物学的欲求とは、文字通り番いとして、相手を求める欲求のこと。いまもそうだが、惚れてからだいたい一年半で電池切れになる。嫌いになるんじゃなくて、(言葉を選ばずに言えば)飽きてしまう。
社会的生活の段階とは、家族関係を大事にしようとか、思いやりの段階。牡というより、ひととして相手を尊重し積極的に共同生活を営む段階。だから価値観が一致しないとなかなか継続できない。共通の趣味を持つとか、同じことやものに感動するとか、そういうことがどれだけ多いかがポイントになるのだろう。そしてそこを軽視すると、まもなく破綻が訪れる。いっしょにいても新たな発見がなく、相手への関心が薄れるのだからしょうがない。
そういえば、まえのかみさんと共通の趣味を持とうとして、あまり努力しなかったのは私のほうかもしれない。そりゃわたしが悪い。夫婦に会話がなくなる理由になる。
いまの状況も似ている。連れは、しょっちゅうこちらが予想もしないような質問をしてくるが、関心のない事柄にはまるで興味を示さない。かといってわたしのことばが少ないと、「(自分が話題をつくらないとならないから)疲れる」という。それはお互い様じゃないかな、と思いつつ、四六時中話していなくてもいいじゃないとも思う。
そんなに簡単に、趣味興味があうはずもなく、こりゃ本当に一生独り者かな。ただ街中を風景みながら歩くのが好きとか、テレビより本を読むほうが最近は多いとか、本はジャンルをとわず面白そうなものを読みますとか、そういうことがロイヤルストレートフラッシュのように揃うことなんてあるんだろうか?
ああ、これがマッチングの失敗なのか、自業自得なのか、せっかくデートの帰り道なのに悲しくなった。


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