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2011年12月

今年の三冊

今年読んだ書籍のうち、印象に残ったものを三冊、上げるとしたら、下記の三冊だろう。

「世界経済を破綻させる23の嘘」ハジュン・チャン著 徳間書店

「弱い日本の強い円」佐々木融著 日経プレミアム新書

「世界が賞賛した日本の町の秘密」チェスター・リーブス著 洋泉社新書

前二冊は、すでに稚拙ながら紹介をしているので、最後の一冊について。

この本は、前二冊のような論説調の書籍ではない。どちらかと言えばフィールドワーク的な著作であり、エッセイのようでもある。主な内容は、過剰なモータリゼーションに警鐘を鳴らすとともに、日本の町をママチャリが闊歩できる場所として賞賛するという、とてもユニークなロジックを、丁寧な取材と、母国アメリカとの対比で描いている。単なる自転車の賞賛ではなく、ママチャリをコミューター交通の一手段として位置づけ、公共交通機関との連携で大きな可能性を指摘しているあたり、まさに慧眼であると思料する。スポーツタイプの自転車が、自転車の代表であると考えるのは誤りだとはっきり指摘し、道路交通の問題、放置自転車や駅前駐輪の問題など、幅広く論考している。
これこそ、ツーリングと自転車通勤を楽しむ多くの方々からのお誘いに違和感を感じていた、その根本でもある。なにか、宙に浮いているような、そんな感覚の正体がようやく理解できる。
氏の認識には、若干調査不足や認識の誤りもあるが、それは大きな問題ではない。むしろ自動車業界やスポーツ自転車業界が、こぞって自分たちの製品を売らんがために、例えば日本政府や国会議員に働きかけて、自動車に有利な道路交通政策や都市計画を策定するよう仕向けてきたことが、氏の指摘であからさまにわかる。それはジェーン・ジェイコブスが、路面電車の普及すら、本当に必要なものか、他にもっと有用で安価な交通手段はないかと自問自答するような、謙虚で繊細な著者の考え方を表している。

不思議なのは、どうして行政は、ママチャリの一番の利用者たちを無視して、道路政策にせよ都市計画にせよ、長年行ってきて、それをいまに至っても変えようとしないのだろう。またどうしてその有権者は、その声を政策に反映させようとしないのだろう。それほどまでに、自動車産業や不動産業などの、業界団体の声が大きいということだろうか。
例えば路地文化を賞賛する声は、日本国内にも当然存在する。他方、多くの自治体が防災面の強化を企図して、いまだ路地の保存ではなく、拡幅ないし解消を無条件に望んでいる。これからインフラ投資の財源がどんどん減少していくであろう我が国では、より少ない資本投下で、よりたくさんの防災効果をえるべく、工夫することもひとつの大きな課題だろう。たとえそれが自動車産業や不動産業の利益に反していたとしても、米びつに米が無い以上は、節約せざるをえないのだから。そのための、ひとつの有力な方法として、ママチャリの尊重が検討されるべきだろう。
この書籍は、どうしてアメリカ人女性によって書かれたのだろうか。どうしてママチャリの愛好者から、こういう主張が生まれなかったのだろうか。著者の主張は、ママチャリを愛する沢山の利用者によって今後益々支持されていくのではないか。
経済の大胆なグローバル化による、身近な生活圏の破壊があすにも始まるかもしれない今日このごろ、こういった庶民の地道な抵抗が、もしかしたら世界経済の連鎖的破綻から日本経済を救うことになるのではないか、と、ふと大言壮語っぽく考えた次第である。

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一通の喪中はがき

年末になり、年賀状シーズンを前に喪中はがきを受け取ることが増えた。
今年はこころなしか、例年より多いような気がする。
そんななか、今日受け取った喪中はがきには、言葉を失った。

「去る3月11日に 父 母 が永眠いたしました。」

両親を共に、一瞬にして失った悲しみは、想像に難くない。
日本全国には、このような深い悲しみがひっそりと、満ち溢れている。
謹んで哀悼の意を表するとともに、ご冥福をお祈りしたい。

そしていまなお、故郷の土を踏むこと叶わない多くの方に、おくやみ申し上げたい。

3.11がもたらしたもの、その悲しみを超えて、被災者の方々の生活が早く再建しますように。また、様々な教訓が今後の施策に生かされますように。

2011年は、こうしてまもなく暮れていこうとしている。

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送発電分離と東京電力国有化との関係?

ちょうど今朝の日本経済新聞だったろうか、東京電力は新たな社債発行が難しいことから、今後の発電所建設を見合わせ、また火力発電所を中心に外部へ売却していくと報道された。そのちょうど同じ日に、毎日新聞では東京電力に対して少なくとも総額1兆円規模の公的資本を注入する方向で調整に入ったと報道されたそうだ。
またしてもマスコミの世論誘導だろうか。折しも大阪市長には前大阪府知事の橋下氏が当選し、株主として関西電力に対して脱原発の推進を求めていくという。原子力発電のコストは、先般他の発電方法と同一条件で比較検討の結果が公表されたが、そのコストには中間処理施設のコストは含まれていないという。中間処理施設のコストが含まれないなら、当然ながら最終処分費用も含まれていないのだろう。最終処理をどうするかも決まらないまま、石油による火力発電や太陽光発電とコスト比較したところで、原子力発電の抱える本質的な問題はなにも解決しない。だからといって、いま原子力発電所を全停止したところで、いま日本国内各地の原子力発電所の敷地内に眠っている原子力廃棄物がなくなるものでもない。はるか四十年以上前に点火してしまった原子力の火は、それこそ100,000年後の安全まで考えて、「処理」しなければならない。
そんなやっかいなものと、これを機におさらばしたい、国の政策と全く無縁に一事業会社として合理的に選択すれば、そんな考え方もできよう。まして我が国は地震大国である。絶えず最新の知見に基づいて、設備向上ならびにオペレーションの向上を図ることこそが、自然災害に対する最大の事故予防策であるにもかかわらず、一民間企業である東京電力は、国による指導がないことを理由にそれを怠った。一事業会社が、多額の追加安全投資を行うことを合理的に株主ないし投資家に説明するためには、国の指導という「不可抗力」が必要不可欠だったことは容易に想像できる。事故後、事業を存続するための起債もできず、金融機関からの借入もできなければ、発電事業を分離し、送電会社として東京電力を存続させるという選択肢は当然あるだろう。
これに対して、まるで東京電力の動きを牽制するかのように、公的資金注入とは、いったいどれだけ利権を得ている既得権益層がぶら下がっているか、想像に難くない。
国有化するなら、もっと早いタイミングだったろう。現政権与党は、東京電力という企業を破綻させず、国有化せず、あくまで自力再建させようと、銀行に奉加帳をまわし、かつ国家賠償という税金投入と電力料金値上げという利用者負担増で乗り切ろうとした。それがマーケットの論理でうまくいかなくなったからといって、いまさら国有化するのは、国民ならびに有権者に対する裏切りではなかろうか。
例えばである。国有化によるメリットはなんだろう。東京電力の経営が安定化する、ひいては電力供給が安定化する。そうだろうか。発電事業を分離し、スマートグリッドを推進すれば、安定的な電力供給は可能であるという意見もある。東京電力の信用力が国によって補完される。そうだろうか。海外は決して我が国の事故後の対応を評価しているわけではない。むしろ危機管理能力に乏しい三流のオペレーションしか持っていない原子力利用国というレッテルを貼られたと見るべきだろう。となれば、国によってなんの信用補完ができるのだろうか。いうまでもなく、事故責任は東京電力のみならず国にもあるわけで、その国が偉そうに「信用補完」などといえると考えるほうが脳天気ではないか。
はっきりさせるべきことは、短期ならびに中長期のエネルギー政策を分け、その上で電力供給がどのようにあるべきか、オープンにすることではないか。送発電分離が望ましいとも、国有化が望ましくないとも、すぐに結論がでるものではない。一方で原油価格はみるみる上昇し、このまま放置していると火力発電のコストは産業界の期待に応えられなくなるぐらいに増大するリスクがある。電力会社も営利企業である以上は、のんびりと天下国家を論じるスピード感にはとてもついていけない。どんなに困難な経営環境であっても意思決定することを求められるのが、営利企業の宿命である。それを取ってつけたような政策や少数の既得権益層による政治的圧力で、ビジョンもなく国有化するなどと、よくも言えたものだろう。
今年は、マスコミ報道を頭から信じることのバカバカしさを改めて学んだ一年でしたが、その印象が強化されたまま、今年も暮れようとしています。誰が、どのような意図をもって、誰に対して、どのような印象を持たせることを目的として、その報道がなされているか、そんなことを注意しながらマスコミ報道をみないと、悪い意味でアジアの一員である日本の日本国民は、既得権益層にころっと騙されます。ストレートに企業のロジックを表明した分、今回の東京電力のリリースの方が、すっきりしたと感じました。

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