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2008年11月

腰痛

ついにこの日が来てしまった。朝起きると腰痛。目覚ましを止めるために体を起こそうとすると、激痛が走る。ああ、よる歳の波にはもう勝てないなあ、と実感する。
フィットネスクラブで、ロータリートーソーだったか、腰痛予防の器具を利用して、しばらくの間腰痛とは無縁でいられた。最近は、パソコンの前でほぼ一日じっとしていながらも、朝から23時ごろまでデスクで同じ姿勢をしているため、腰への負担は相当掛かっているはず。しかも通勤かばんは人一倍重いまま。通勤かばんの軽量化は、荷物の見直しにより都度取り組んでいるが、それでも日々増えていく。必ずしも毎日使うものではないが、「あると便利」「ほしい時にないと困る」などの理由で、通勤かばんの常備品になっているものが少なからずある。文庫本や新書本は、ほぼ二冊を抱えている。最近は電子辞書を持ち歩く。手帳が一冊、歯科矯正に係る鏡などの入ったポーチ(化粧ポーチ大)がひとつ、折り畳み傘、折り畳みバック(エコバック)ひとつ、クリアファイル数枚、電卓ひとつ、筆箱ひとつ・・・じぶんでは必要だと思っているから、なかなか軽くならない。しかも右肩にショルダーすることが常で、左肩にかけると違和感がある。こうして腰痛の悪化を自ら招いている。ああ、だんだん親父になっていくなあ。若くないなあ。

きたる平成21年は前厄にあたるらしい。厄払いしなきゃ。また長いトンネルの中だな。しばらくの間は。

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おとこのはだか

「おくりびと」と「ホームレス中学生」をみて思ったこと。なぜ主人公の入浴シーンがあるんだ?私がオトコだから気がついたのか、これってモックンやテッペイちゃんの素肌がみたいというオバサマ根性を意識したサービスカットなんだろうか、と疑いたくなる。いやそれしか理由が考えられない。水戸黄門の色気シーンぐらい、ストーリー展開としては、ちょっと強引で、観客としては、それだけ見たいんじゃなくて、本筋の内容がみたいから、ついでに見えてしまったの・・・みたいな下心を感じてしまう。そうか、性欲に正直になった女性たちのこころは、そうやって満たされていくのか。

女性が、男性の体に魅かれることを、どうのこうのいうつもりはない。むしろ、公の場にこういう形ででてきたことで、健全さを感じる。映倫とかビデ倫とかが、男性のヌードに「過激だからやめなさい」なんて日がくるのだろうか。それはそれで、面白いのかもしれない。なにせパートナーをもっている女性は、生まれ変わったら、いまのパートナーといっしょになるひとは少ないそうだから。ふん、浮気性め。とつぶやくのは、昔は女性の特権だったかもしれないが、わたしはいまの女性陣に思ってしまう。そしてコマーシャルよろしく、「愛だろ、愛」とほざく。惚れたはれたの一時の情熱であっちいったりこっちいったりするのは、おとこもおんなも一緒だけど、それじゃ家族は成り立たないし、こどもは育たないのよね。それじゃ愛も育たないと思うけど。あ、よけいな一言でした。ごきげんよう。

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おくりびと

「おくりびと」を観た。死をみとるひと、そういう職業は冠婚葬祭の中でも、あまり評価されているとは残念ながら言えないかも知れない。ひとはいずれ死ぬのに、である。死は忌み嫌うものであり、日々の生活から遠い、特殊な世界にあるものと思いたがっている、ということだろうか。しかしながら死は確実に身近に存在する。それは両親かもしれないし、恩師かもしれないし、上司かもしれない。長く生きれば、生物学的には残存生存確率が低くなるのだろう。だからこそ、弔いをきちんと行うことが、ひとという文明を手にした人間の行いなのだろう。

ひとの死にざまはさまざまである。ピンピンコロリを実践する人もいれば、病と闘い壮絶な死を迎える人もいる。残念ながら自殺を選ぶ人もいれば、不幸な事故で亡くなる人もいる。人の死は、そのひとを愛していたすべての人にとって、深い悲しみを与える。だからこそ、尊厳が必要であり、納棺師という職業があるのだろう。ひとがひととして生まれて、ひととして亡くなる、ということは、ひととして扱われる、ひととして文化文明の中で一生をとげることに等しい。ひととして。

残念なことは、そこに蔑みが存在しがちなこと。山崎勉演じる納棺業の社長は、長年どんなふうに世間の目と折り合いをつけてきたのだろう。広末涼子演じる妻は、夫の職業を心から受け入れることはできたのだろうか?納棺師という職業を、社会に必要な立派な職業だと、こどもに言える覚悟はできたのだろうか。それぞれの胸の内に、、なぜ主人公がこの職業を選んだのか、その社会的意義を実感、会得していく過程を残していく、そういう映画だった。日本人もやるなあ。こういう映画を撮れるんだから。

蛇足だが、映画の製作を製作委員会方式で行うことを批判する報道を見かけた。コンテンツ制作者に多くの分配を、という意図だろうが、それは本質をみていないような気がする。映画は、いまや個人が個人で製作できる時代になっている。ネットという公開手段ができたからである。だからこそ、映画配給会社もテレビ局も芸能プロダクションも、新聞・雑誌はもとより駅前の大型看板、テレビのバラエティ番組などあらゆる手段を使って、売れている俳優をつかって、とにかく新しいコンテンツを作ろうとする。いわば「こっちを向いて」と消費者やファンに「押し売り」する。マルチスクリーンの映画館が都心部や郊外に乱立し、ひとを集める装置と化した映画館は、客を呼ぶことを第一に、とにかく新しい映画を提供し続けることにのみ、その存在価値が求められている。つまりビジネスニーズが、たくさんの映画を世に送り出している(乱暴な推察かもしれないが)。このサブ効果として、たくさんのテーマが取り上げられ、「闇のこどもたち」のような社会問題提起的内容が映画化されたり、本編のようなすぐれた作品が世に送り出されることになる。「しゃべれどもしゃべれども」も、世が世なら映画化されるような作品ではなかったかもしれない。それが映画化されてよりたくさんのひとの目に触れるようになることが、製作委員会方式の最大のメリットではなかろうか。

つくづく思う。日本は十分に豊かになった。ただバランスはあまりよろしくないかもしれない。こころに余裕をもって、他人の痛みをじぶんの痛みのように感じることができるような、そういう日本人のこころを大事にしたいと思う。そしてそれは国際社会でも通じるはずの、ひととしての尊厳であるはずだから。

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恋愛嫌い

王様のブランチを観ていたら、ブックナビで紹介されていて、つい本屋に走ってしまった。

http://www.tbs.co.jp/brunch/book/index-j.html

ブックナビの松田編集長には、「夜は短し歩けよ乙女」森見登美彦著をご紹介いただき、これが私の琴線に触れたというか、大ヒットだったので、土曜日この時間に起きることができると必ずテレビをつけてみている。いつも買うわけではないが、こういう恋愛小説系に弱いのかもしれない。って四十歳目前の独身男性が言う言葉ではないのかもしれないが。

この小説に登場する乙女たちを、わたしはおちゃめだな、と思う。なんだか器用にひとの気持を駆け引きしたり、操ったり、探りをいれたり、まるでビジネスをしているような男女が現実には多くて、しかもそういうことがないのが「つまらない」とまでいうひともいて、ホント現実の恋愛って疲れる、と思っている矢先にこの本の紹介があり、飛びついてしまった。そうだよ、男だけが不器用じゃなくて、女性も恋愛不器用体質のひとがいるのが普通なんだろう。あとは、合うか合わないかだけ。なかなか合わないよねえ。70%クリアでさえ、なかなか合わないんだから。「ひとりで生きちゃだめですか?」ああ、いい響き。「恋より愛を」もっといい響き。ミシュランもディズニーも夜景も劇団四季も、全部全部すっとばして、本当はなにか感じるものが、居心地の良さとか共通の趣味とか生活スタイルとか、あってあとは偶然(遺伝子的には必ずしも偶然ではないらしいが)のなせる技で、結ばれたり、結ばれなかったり。おひとりさまに慣れなきゃね。
よりによってクリスマスに人間ドックを受けることになっている。正確には家族持ちのパパさんから交代を持ちかけられて、断る理由がなかった。24,25日はあいにく暇なのだ。連れには姪っ子にクリスマスプレゼントを渡すことのほうが大事だと、はっきり言われた。それにあなたは家族でも彼氏でもないし・・・あいかわらず傷つくことを平気でのたまわっている。いつか襲っちゃろか、全く。そろそろサブプライムも崩壊したことだし、還ってこない投機におい銭を払うのはやめたほうがいいのかもしれません。かくして2008年も不毛に終わろうとしています。たくましく生きなきゃね。

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ポスト金融資本主義

「すべての経済はバブルに通じる」小幡績著光文社新書刊を、さくさくと読んだ。「閉塞経済」金子勝著に続いて、バブル発生の必然性を論じた力作。ヴァリューアットリスクという言葉を聞いたことはあるが、きちんと理解できたのは、はじめてだろう。本当に頭のいいひとが書いた経済の説明書、という印象だ。
さて、こうやってサブプライム関連本をあさって読んでいると、いますぐはともかく、100年後200年後の世界経済は、マルクスが予言したように共産主義化していくんじゃないかと思いたくなる。それも旧ソビエト連邦や中国で採用された、単純な社会主義ではない。働くことを楽しむという、従来考えもつかなかった、高齢化社会を背景とする高成熟化社会が、世界の在り方を変えていくという大きな変化を生じていくのではないかと思いたくなる。
「いちにち三時間しか働かない国」マガジンハウス刊という書籍がある。全世界が生むだす、新たな付加価値は、世界を十分に豊かにするだけの経済力をすでに持っている。これを用いる方法を変えれば、いちにち三時間しか働かない国は、実現するかもしれない。すくなくとも日本よりはるかに労働時間が少ない豊かなくには、いくつも存在する。
ノーベル平和賞を受賞した、ムハマド・ユヌスはマイクロマネーという概念で、貧しい国に豊かさをもたらそうとしている。複数の経済学者が指摘しているように、まだ豊かでない国や地域があるからこそ、経済が成長するのだとすると、豊かさの輸出が、この混迷する世界を支える唯一の処方箋なのかもしれない。
ムハマド・ユヌスは「貧困のない世界を創る」という。そしてその背後には、フラット化する世界で指摘されたように、グローバル化した経済が世界をつなぐことで、世界が平らになっていく。情報が、世界を平らにする。そこに米ドルという貨幣の下落が追い打ちをかける。それは米ドルの下落ではなく、先進国通貨どのものの下落かもしれない。物々交換、実体経済こそが経済である、というファンダメンタルな世界が、あるいは出現するかもしれない。世界がインフレーションを許容しないのであれば、なおのこと、無防備に増刷される貨幣はただ価値を下落させる。ものをつくらない、金融立国がまやかしだとだれもが知った今、タイとイランは、米と原油を等価交換する契約を結んだという。貨幣ってなんだっけ?と改めて考える時期がきたのだろう。

お金、地域通貨、マイクロマネー、物々交換、・・・バブリーな花男、小室哲也逮捕、リーマンブラザーズ破産、・・・やはり時代は変わっているのではなかろうか?

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シルク・ドュ・ソレイユ

行ってきました、シルク・ドュ・ソレイユ ZED.。朝からマンションのカギは壊れるわ、前日に連れから熱っぽいとメールがきて無理かな、と考えたりとか、雨が降りそうとか、なんだか「行くな」と言わんばかりのマイナスオーラを感じていたのですが、でも行ってきました。とにかく、最高!
私はラスベガスに行ったことがありませんが、世界のエンターテーメント、ショービジネスはこんなに洗練されているのかと思いめぐらせずにはいられないぐらい、素晴らしい。ショーのテンポ、音楽、構成、ストーリー、テクニック、そして観客との一体感。どれをとってもブルーマンのように、日本のエンターテーメントにはない、なにかふしぎなものが宿っている。
ひとの肩の上にひとが立っている、それが四段というだけでもすごいのに、それがリズミカルに芸術性を伴って魅せられる。ジャグリングは、あまりに高度なせいか、二度落としていた。いいじゃないか。空中ブランコ。テレビの画面で見るのとはわけが違う。じぶんの目の前で、すごく近い位置でリアルにひとが舞っている。そう、ひとが舞っている。それも男性も女性も、まるで羽が生えているのか、妖精かのように華麗にきれいに舞っている。これをサーカスとは言わない。高度に芸術化されたショービジネスだ。
このショービジネスを常設ステージを作って来日させるために、多額の投資をオリエンタルランドは行ったという。確かに来場者の客層は私を含めてTDRの主要客層と異なる。しかしながら私自身、10数年ぶりにTDRへ足を踏み入れるという、オリエンタルランドにとっては想定通りの顧客になった。TDRでは得られない、(相乗効果を生みうる)エンターテーメントにオリエンタルランドは投資した。いまの日本で、財布のくちを開かせるには、このような仕組みがいるということなのか?
ウィキッドや、シルク・ドュ・ソレイユのようなエンターテーメントなら、私は今後もお金を払うだろう。映画や演劇を観るのと同じ感覚でチケットを買うだろう。安い、高いではなく、満足するエンターテーメントを見たいから。
そういえば席にはドリンクホルダーがあり、またかなりのゆとりがあった。東京の感覚ではちょっとめずらしい。日本が成熟した証なのだろうか。

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ビジネス実務法務検定

ついうっかり、無駄遣いをしてしまった。気がつくとビジネス実務法務検定の受験料納付済み控えと、二級三級の問題集、テキストが自宅に届いている。さていつ申込みしたんだろう?しかも受験料とこれらの問題集、テキストで三万円ちかくかかっている。ふところの厳しい今のご時世にどうして三万円も無駄遣いしたんだろう。
そうだ、思い出した。締切間際に、「もう締切ですけど、こんな試験があるので受けてみてください」と紹介があったのち、酔っぱらった勢いでパソコンでかたかた申込したんだっけ。あーもったいない。いや勉強するつもりがまったくないのではない。そうではなくで、「いま」勉強する気分にまったくなっていないのだ。
確かに会社は、民事再生の申請をして、大半の社員は時間をもてあましている。そう、スポンサーが決定して、債権者の皆さまから再建計画の認可・了承をいただくまで、事業会社としてなにひとつ事業がすすめられないのだから、大半の社員はひまになる。まいにち会社に来てもすることがない。倒産した会社とは、こういうことなのだろう。しかし私はそうはいかない。スポンサー選定準備やら財産評定やら、やるべき仕事が山積していて、時々カプセルホテルどまりになるほど仕事がある。だから乗せられて、ビジネス実務法検定の受験勉強などしている余裕はないのに、つい無駄遣いしてしまった。
いまだにテキストも問題集も開いていない。受験票には12月14日試験日と書いてある。あーあ、どうしようかな。一回ぐらいテキスト読もうかな。三万円、投資する先を間違えたなあ。自らの短慮に深く後悔。

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さようならお姉さま

ふと手に取った雑誌に、なつかしや、お姉さまの記事がでておりました。一般の雑誌に記事がでるなんて、なかなかできることではありません。生活スタイルを紹介するページに両面見開きで、写真付きでご紹介されておりました。
どきどきしながら内容を読んでいくと、じぶんとのあまりの生活スタイルの違いにびっくり。定期的にご自宅でパーティーを催しておられるそうですが、わたしにはとても考えられません。なぜなら整理整頓とは程遠い状態が常であり、パートナーがいたら「片付けなさい」と一喝されるような生活スタイルが、すっかり身についてしまったから。われながら、きたない。掃除していない、ということではなく、あっという間に増える書籍や郵便物、書類の数々に、手が追い付いていない。とても人さまをお招きする状態にない。残念ながら、ない。
しかもご自宅にワインセラーを購入し、お客さまのおもてなしされるという。これもないなあ。なぜなら、あらゆるアルコールのなかで、ビールとワインの相性が悪いことがわかっているから。特に赤ワインがまったくだめ。白のほうがまだまし。できれば飲みたくない。飲まないアルコールは、たとえば缶ビールのように数か月ほったらかし。おいしくなくなる。
パーティーの準備や後片付けは、たぶん全く苦にならないが、定期的にできるほどじゃない。そういう感覚にはたぶん生涯ならないだろうなあ。人の集まる場所は、どちらかというと苦手だし。ひとりがすき。または、ひとりの時間がないと、精神の安定を保てない。
いまの連れが、おなじことをいう。ふたりで住むなんてありえない。ひとりがすき、ひとりが楽。つまり似た者同士、ということか。
おねえさまには、いっぱいゆめをみさせていただきました。こんな素敵なお姉さまとデートできたら楽しいだろうな、とか想像して。でも想像だけのほうが、幸せみたい。現実は、それまでの人生がすべて刻まれたうえの選択だから。おねえさま、すてきな思い出をありがとう。そしてさようなら。あなたは理想の姿のまま、アルバムにとっておきます。決して手の届かない場所にあることに感謝して。

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ピカソ展~巨匠ピカソ 愛と想像の軌跡

いま六本木の国立新美術館で開かれているピカソ展をみた。一般によく知られている、よくわからない絵を描く前は、普通のデッサンや肖像画を描いていたことが展示からうかがえる。そして当たり前のことだが、それらはうまい。特に人物のとらえ方、女性のからだの曲線のとらえ方は、素晴らしい。生を生み出す性としての讃歌にあふれているといってもいいのではないか。生涯、何人もの恋人がいたようだが、ピカソはそれぞれの女性を心の底から愛していたような、そういう愛情が絵の中からにじみ出ている。私はそのなかでも「マリー・テレーズの肖像」に魅かれた。なにがほかの絵とちがうのか、うまく説明できない。ただ少なくとも絵筆を握って描いている時、その人に対する愛が絵筆という道具を通じてカンヴァスにあふれ出ている、というなにかが伝わってきた。そう観たとき、ピカソの絵は、わかるものではなく感じるものなのではないか、当時フロイトやユングといった、人間の性に関する研究が進んでいたころであるし、「女を凌辱するミノタウルス」を描いたのは、明らかにされる自分自身の情欲に対する不安と、その素直な表現なのではないか。そんな風にみると、不安定な構図が、たちまち安定したひとつの造形にみえてくる。不安定を、不安を表現したいから、あんな形になっているのはないか、と。

情欲の表現は、この年齢になってもまだ戸惑うことが多い。素直に、好きとか、愛してるとか、そういう表現ができない。なにか音楽を奏でたり、文章を書いたり、絵を描いたりすることができるひとがうらやましい。わたしにあるのは、どこまでもうまくいかないコミュニケーション不全のもどかしさ。言葉は完全ではないからこそ、言葉以外のコミュニケーション手段を駆使できるようになりたい。レオナルドダビンチやピカソは、そんなことができたのだろう。だからもてたんだろうなあ。

同じアーティストでも小室哲也は、逮捕されてしまった。アーティストとお金は相性が悪いのでしょうか?アーティストはアーティストの苦しみがまたあるのかもしれません。

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リヴァイバルプラン

民事再生の手続きも大詰めを迎え、年末までにはスポンサーを内定できるのはないか、と言われ始めた。裁判所に再生計画案を提出する段取りが徐々に見えてきた、ということだ。ところが「どうして民事再生を申請することになってしまったのか」「スポンサーがついたあと、いったい自分たちのビジネスは、どのようにしていくことに最も可能性があるのだろうか」といったビジネスプランに関する検討は、なにひとつ誰一人手をつけていないことがわかり、驚いてしまった。
民事再生手続きで要求される民事再生計画は、会社を解散するほうが債権者の回収価値が高まるか、それとも企業の営業を継続して回収を図るほうが債権者の回収価値が高まるか、を判定するに留まり、具体的なビジネスの再建策、いうなれば日産に乗り込んできたゴーン氏が提案した、リヴァイバルプランに相当するものは、含まれないという。至ってシンプルな法的手続きなのだ。「手続き」という観点では、その法的整理は、たいへんありがたい仕組みである。他方、リヴァイバルプランが法手続きから外れているために、実際の事業再生においては、最も重要な部分を誰かがいつかやらなくては、ならなくなっている。スポンサーがやるんだろうか?いやスポンサーは定量的に当社の事情はわかっていても、定性的すなわち当社の人的組織力であるとか、カラーであるとか、マインドの部分を知る由はない。経営者を除く、各部門のトップはスポンサー候補からインタビューを受けているそうだが、そのインタビューを通じてスポンサーが得た内容が、当社のカラーだとか企業文化だとか、言えるだろうか。
そんな思いから、社内の有志をあつめて、自主勉強会をスタートさせた。「なぜ当社は民事再生に至ったのか」「なにが当社の強みであり、弱みなのか」「これからどういうビジネスで飯を食べていくのか」「すべての社員を幸せにするシナリオはなにか」など、それぞれの課題、思いを胸に、これから約一ヶ月半議論を詰めていくことになる。
これってほかの民事再生申請会社はやっているんだろうか?当社は、幸いにして民事再生申請後も、大量の退職希望者がでている状況になっていない。他方、会社側でも資金繰りは厳しいはずなのに希望退職も退職勧告もしていない。当社本体の雇用はすべて継続されている。子会社はすでに整理の対象になっており、容赦ない人員整理が始まった。親会社子会社の違いは、こんなところにでるということなのだろう。M&Aする価値がある会社、価値がある部門だけが生き残り、そのほかは会社整理(破産)の道をたどる。不動産ビジネスにおいては仕方のないことなのだろうが、経営に対して腑に落ちないなにか、いやなものが心に残る。

いま読んでいる本に、ネット社会における「ブログは落書きだとかんがえるのが健全な精神である」、と記載されている。(「googleが消える日」小山雄二著 カナリア書房刊)このブログを書き始めたとき、私自身の気持ちは「王様の耳はロバの耳」であった。その当時から、きわめて正確にブログという落書きとしての一面を直感的に理解していたということか。そしていまも残念ながら、「王様の耳はロバの耳」という気持ちは変わらない。ただリアルな世界では、変わることを信じて活動を始めている。オバマ氏もいっているではないか、Yes、We Can.変わらないことには、なにも始まらない。齢四十を前にして、まだまだ変わろうとしている自分を、写真のように記録しておきたい。

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オバマ氏米大統領当選

おおかたの予想通り、民主党のオバマ氏が次期アメリカ大統領に選出された。その熱狂ぶりは、数年前コイズミブームが起こったときを思い出させる。Yes,We can change.とてもわかりやすいフレーズが、そこかしこにちりばめられた演説は、そりゃコメディの対象にもなるわさ、ノッチという芸人を今日初めてテレビで見た。
黒人初、ということにあまり興味はないが、人種を超えたグローバルな視点で、アメリカという大国の大統領に立った時、どんな意思決定がなされるのか、とても興味がある。『フラット化する世界』が戦争の経済的な意味での無意味さを立証し、ムハマド・ユヌスがマイクロマネーをつかって最貧国で豊かな自立した世界を目指そうとしている。奇しくも投資銀行という金融資本主義を象徴する事業モデルが、モラルハザードの前に崩壊し、ノーモア資本主義とまでいわれるまで、後退している。ひとびとは、ウォール街を救うことは一部のひとを救うことにしかならないと、理解しているようにさえ見える。オバマ氏は言います。「今回の金融危機から得たほかでもない教訓というのは、普通の町村が苦しんでいるのにウォール街だけ栄えるなど、そんなことがあってはならないということ。それを忘れずにいましょう。」と。はい、そのとおりです。けれども金融安定化法案の成立と、ウォール街だけが栄えることは別ではないでしょうか?いかがお考えですが、オバマさん?
つい興味があって、オバマ氏の勝利宣言VTRをネットで探してしまった。おそらくはじめてではないだろうか、現役のアメリカ大統領の英語をほぼオンタイムで全文聞く(見る)というのは。
http://my.barackobama.com/page/community/post/stateupdates/gGxLhV

さすがに大統領になるひとの英語はわかりやすい。演説というフェーズの切り方、アクション、観客の反応、語気、声の大きさ、力強さ、すべてがアメリカにふさわしいなにかを感じさせる。英語ってこんなふうに話すとかっこいいのね。
イラクから早期撤退を主張しているオバマ氏。かつて戦争を終結しようとした米大統領にはJFケネディのように、暗殺という悲劇の結末を迎えたひともいる。長く長く、世界を協調と和平のもとに導けるよう、時にその大国としての行動を見せながら、生きてほしい。
Yes,We can.ぜひ世界中の多くのひとに夢と希望をあたえるような、米大統領であってほしい。

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解雇通知

わたしのことではない。関連会社にいる友人が今月末で解雇する通知を受け取ったと、昼休みに聞いた。粛々と民事再生の財産評定やスポンサー選定に取り組む身には、友人の報告を大変残念に聞いた。それも社内の掲示板には、関連会社がMBOで株式が譲渡されたと報告されているのに、実際は一部社員の解雇につながっているという。その内情は、会社内の派閥争いであり主導権をめぐる合併会社被合併会社間の仲たがいだというから、これも悲しい気持ちにさせられる。
もっと早く、強い会社をつくるための本格的な動きをするべきだったのだろう。もっと早くグループ体力をつくる動きができていたら、友人を不幸な立場に追い込まずに済んだかもしれない。
「経営」というものが手の届かないところにあるものとばかり思っていた。気がつくと、経営者が「経営」していない、いまのこの状況がある。経営ってなんだろう?スポンサーが決まった後、わたしたちはどうやって食べていくんだろう?まさかスポンサーに「おんぶに抱っこ」とはいくまい。自分たち自身で「なにができるのか」「なにをするべきなのか」棚卸しようと、自主勉強会を立ち上げたばかりだというのに、その前に「経営」の意思決定は、人をバラバラにしようとしている。せっかく集まった優秀な人材だというのに。
先月もたくさんの同業他社が倒産してしまった。破産になった会社の社員は、給与も退職金もなく、ただ職を探す羽目になる。当社の社員をそういう目にあわせてはいけない。ただ飯を食わせるわけにはいかないが、会社に残ってもご飯が食えるということを、ちゃんと証明しないとどんどん転職者が増える一方だ。それも「できる」社員が去っていく。これでは企業として存続が危ぶまれる。リストラを断行して、「できる」ひとに相応の待遇をすることが前提だ。経営責任を明確化しないことには、社員が納得しない。では経営責任とは、役員が退任することなのだろうか?わたしは違うと思うのだが・・・
でてしまった解雇通知を残念ながら撤回してあげることはできない。しかし新スポンサーに有能だと推薦することはできるかもしれない。不動産ビジネスをきちんととらえなおして、いま「できること」を見つけたい。この試練はそんなふうに私を変えたのだろう。

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小室哲也逮捕

あの小室哲也氏が逮捕されたそうな。TMNの小室さん、Globeのコムロさん、華原朋美の元恋人、・・・うそでしょ?
記事をいろいろと読んでいくと、香港でのコンテンツビジネス失敗とお金の豪快な使い方が禍したらしい。渡米片道のファーストクラス座席をすべて買い取って独り占めしたとか。そういうお金の使い方は、大富豪がすることだろうけど、怖くないのかな?その先、お金がなくなてしまう恐怖ってないのかな?「花より男子」を観たときに、あまりのアホサ加減(バブリーさ加減)にあいた口がふさがらなかったけれども、この人は実際にそういうことをやっていたのね。それって「贅沢」なんだろうか?
女性関係もいろいろ盛んだったそうで、結婚離婚を繰り返したそうですが(ひとのこと言えた義理じゃありませんが)、お金で解決できる人は、やっぱり懲りないんでしょうかね。ふつうはお金では埋めることができない、「きず」というか「いたみ」を伴うものですが、慰謝料というお金が免罪符になって、麻痺してしまうんでしょうかねえ。
木根さんや宇都宮さんが、コメントを発表されていました。大変残念ですとか、またTMNを結成できるがくることを願っていますとか。そうですよね、仲間ですものね。ただそれよりも、訴えを起こした個人投資家のコメントが興味深い。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/081104/crm0811041715028-n1.htm

なるほどね、このひとの主張が事実かどうか、わからないけれども理屈は通っていますね。仮に宝くじが当たってにわかリッチになっても、こういう人生を送ってはいけないんだと肝に銘じて、6億円あたるかもしれないBIGでも買おうかな。

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ホームレス中学生

気がついたら、この文章で100コマ目になるそうだ。よく書いたなあ。またよく書くことがあるなあ、それも厭きずに。ちょっと自分をほめてみたくなる。
先日映画館で「ホームレス中学生」をみた。「PSアイラブユー」とどちらを観るか、悩んでこっちにした。ラブストーリーが嫌いなんじゃない、なぜだか本屋で山積みされている原作が気になっていたから。
まだ中高生のこどもに向って「それではみなさん、それぞれ大変だとは思いますが、がんばって生きてください。解散!」と叫ぶお父さん。異論はあるだろうが、わたしは家族道連れに自殺を図る父さんより、ずっと前向きでこども思いの父親だろうと思う。そりゃ無責任かもしれない、しかし借金取りに追われて、借金返済の片棒をこどもに負わされるよりは、よほどましな選択かもしれない。なにせ日本というくにの借金取りは、事業で失敗しようが失業しようが、個人に請求するのが当たり前だと思っているから。連帯保証を平気でとるし、へたすりゃ連帯債務まで要求する。事業にスポンサーするという意識はない。だから借入人の生活は、とことん追い込まれる。余談だがアメリカの住宅ローンは、ノンリコースローンが基本だそうな。借金して返せなくなっても、家さえ手放せば残債を手取り収入から返済しなくていいと。実際確かめたわけではないが、もしもその通りなら、日本で住宅ローンの返済に苦しむ債務者よりアメリカで家を取り上げられた債務者のほうが、気楽かもしれない。また働いて買えばいいのだから。(日本でもノンリコースで住宅ローン貸してくれないかな~)
ところでこのくには、ホームレスにやさしいだろうか?好きでホームレスになったわけでもないだろうに、昨今のニュースは、厳しい話ばかり耳にする。職を失うとか家を失うとか、誰しも直面するかもしれない悲劇なのに。「Big Issue」を売るホームレスらしき人の姿が目に浮かぶ。こどもだから支援されるのか、それは違うだろう。社会保障の一環として、当たり前のこととして助け合うのがひとなんじゃなかろうか?そういえば障がい者自立支援法に反対するひとの集会をテレビで知った。自立を支援するために、くには全額補助をやめた、ということらしいが、それこそ本末転倒ではなかろうか?もともと自立するのに十分な所得を得ることができる環境が整っているなら、その理屈も理解できよう。残念ながら実際はそうではない。雇用義務がある事業所でさえ、実際には雇用が進んでいない。みえない壁がそこには横たわっている。どうして支えあうことができないんだろう?
ホームレス中学生、大変な青少年期だったと思うが、よかったよかったで終わるには、ちょっと苦い後味が残る。それがコイズミさんの「お土産」なのかどうかは別にして。

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